こんにちは。竹中です。
急にキンモクセイが香りだしましたね!
この香りが大好きな人、いっぱいいるはず。
うれしいですね〜♪
さて、
ダルサナヨガの「かんたん12のポーズ」では時々、
「カパーラバティ」という呼吸法を練習します。
先生の合図に合わせて、吸ったり吐いたり止めたりします。
先生は、だんだんスピードを速くしたり、回数を増やしたり、息を止める時間を長くしたりします。
生徒さんたちは、それに合わせるのに真剣です。
呼吸というのは、とても自分勝手です。
生命を維持する機能だからなのか、
正しいやり方より、自分のやり方を優先しがちです。
ですから、
呼吸法の練習をはじめると、
吐けとか止めろとか、始終先生の言うことを聞かなければならないので、
難しいとか言う前に、「人の言うことを聞かなければならない」という心のハードルの方が高くなってしまう人もいたりします。
陰ヨガも似てますね。
ホールド時間が長いので、「なかなかポーズを解いてくれなくて、先生ってイジワル!」と、始めの頃は先生を恨んだりして笑。
はじめからそれを知っていれば、心穏やかに自分自身と向き合えるのかもしれませんが、
感情というのは、わかっていてもコントロールできないことが多々ありますから、ちょっと厄介なんですよね。振り回されちゃって。
(「振り回される」というと、誰か他の人に振り回されていると思っているかもしれませんが、あれは自分の感情に振り回されているだけなので、他人のせいじゃありませんよ⭐︎)
ヨガの表面的な効果はメディアなどで散々謳われているので今さらここに書くまでもありませんが、
私は、実はヨガの効果ってもっと深いところにいーっぱいあると思っています。
それがまさに、今日のポイント。
「あー、イラっとする」となったときに寛容さを発揮できるかどうか。
自分の精神を養う方向に目線を切り替えられるかどうか。
自分に対して否定的になってしまう、
自己肯定感が低い…、
そんな人は、誰の目にもわかりやすい「外側の成果」を求めがちです。(もうこの時点で焦ってますね)
何かで一位になるとか、賞を取るとか、いいね!をいっぱいもらうとか、友達が多いとか、可愛くなるとか、若返るとか、お金持ちと結婚するとか、子供を産むとか、家を建てるとか、
なんでもいいから誰でもわかる成果が出た方が証明はラクです。
「私はちゃんとやってるよ」「私はがんばっているよ」と。
ウザくないですよ。みんなやってることですから。
私がここでコラムに自分の思いを綴ることもその一つです。
一瞬ですが、自分に自信が持てるようにもなります。
ただ、それで自分を肯定できるようになるかといえば、それはちょっとギモンです。
だって、
いろいろなくても私はこれでオッケー、ってムリなく受け入れられるのが自分を肯定できるってことなんだから。
私が思うに、
本当は、もっと内側の世界で、
「私は人に譲れる」とか、
「人の評価に囚われない」とか、
「私はちゃんと私を理解してる」とか、
そういうことを"無理なく"できていること、
ガマンせず寛容な自分を感じられることが、
自分自身を肯定するのにとても大事なのではないかと思うのです。
もし、
表面的にはできるフリをしていても、実は無理をしているなら、心の中はきっと苦しいはず。
なんで私ばっかり、怒っちゃダメだ、泣いてはいけない、私さえガマンすれば、…いつもそう…。
ガマンはそのうち恨みになりますから、溜めすぎてはいけません。
呼吸法の練習がうまいこといくと、
「他人に合わせていても私は自分を失わない」。
そんなジワっと嬉しい気持ちが湧いてきて、満足感や達成感が大きいんですよね。
先にも書きましたが、
ガマンは溜めると恨みになります。
でも、矛先を変えれば自分の内面をいくらでも豊かにできます。
すでにあるエネルギーをどう使うか、ってことだけですね。
私たちの世界は、
外側にも広がっていますが、
内側にも広大で深淵な世界が存在しています。
自分らしくあるためには、どちらへ向かっていくべきでしょうか。
世の中は、人の目に触れず頑張っている人の方が圧倒的に多いです。
なかなか評価されずもどかしい思いをしている人もいるかもしれません。
でも、
そこにエネルギーを使って、時間や気力を消耗するのってなんだかもったいない気がします。
そういう、静かにがんばる人たちが自分で自分を肯定できるよう、ダルサナヨガは応援していきたいと思っています。
10月も良き日々を。
空も秋らしく。
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