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信仰

執筆者の写真: darsanayogadarsanayoga


こんにちは。竹中です。


鹿島神宮へお参りに行きました。

いやー、この樹叢がねー。

素晴らしいんですよね。

涼しい風が吹いて。



なんだか急にお参りしたくなって、

明日お天気が良かったら行こうと思い、


そしたら今日、お天気が良かったのでいそいそと参りました。



鹿島神宮は、筑波山とともに中央構造線と言われる断層のようなものの東の端なんですよね。


日本の東を守る大切な神社なのだそう。



そんな壮大なものが地元の茨城にあったなんて、知らなかった…。



厳かな気持ちで、

「いつも守ってくださってありがとうございます」

と、お礼をお伝えてまいりました。




日本人の多くは「〇〇教」という宗教名がなくても、

生まれたときから身近にたくさんカミサマがいて、カミサマと共に生活しています。



宗教の枠に囚われずに信仰を持つ。



私はそんなライフスタイルがとても素敵に、日本人として誇らしく感じています。



その意義に気付いたのはごく最近なんですけどね。。。




「信仰」は、人が生きる上での心の拠り所です。


良心や生きる姿勢も「信仰」によって支えられているのではないでしょうか。



お天道さまとか、もったいないオバケとか、鬼とか雷さまとか貧乏神とか…


いつも見られてるかもと思うと悪いことできませんよね。



よく、「感謝しなきゃ」とか「感謝しなさい」なんていいますが、この気持ちは義務感や命令からは生まれません。



信仰によって生まれる自然への畏怖や、目に見えないものを受け入れる謙虚さから心に宿るものと思われます。(私の勝手な意見)



生きているうちには時に自分の力ではどうにもならないことがありますが、


そんなとき信仰があれば、

自分で全てを背負わなくても、

カミサマにお参りしたりお祀りしたりすることで少しホッとできます。



無駄に心を病んだりせずにやり過ごせたら、

もうそれでいいじゃありませんか。


心は一度病んでしまうと長引くことがよくあるので、まず病まないようにすることが大切です。



心の健康を保つのにあれをしろ、これを食べろ、なんだかんだといろんな健康法がいわれていますが、


心の健康はもっと深いところにあるのではないか、と私は思っています。




そうそう、お参りの帰り本屋さんでこんな本を見つけました。


これね、なんか絵がいっぱいでおもしろいんですよ。




枝豆売りか…。




インドは今、ガネーシャのお誕生日週間で、私たちの障害を取り払っていただけるようお祀りし、祈りを捧げる日々だそうです。



数日前インドにいるお友達が知らせてくれました。


場所は違えど祈りの心は世界共通です。




世界中でカミサマを祀り、祈りを捧げる。


太古から人々はそうして苦難を乗り越えてきたと思うと、


その習慣を自分も受け継いで実践できることがなんともうれしく、感動します。



なんというか…、


見えないものとか、いるかいないかわからないものに対して祈るところがいいんですよね。



オカルトだとかスピリチュアルだとか、

バカにはできないんですよ。



なぜってそれは、


世の中には人間の手の内にないこともあるんだよね、という人間の限界を受け入れる謙虚な心の表れなので。



苦しくなっちゃう原因の中には、

「なんでも一人で全部やってきた」という自負もあったりしませんか?


本当はその中にも、運とか巡り合わせとか…あったはずなんですけどね。



そういう「目に見えないチカラ」全部を、

私たちは長い間"カミサマ"と呼んできたんじゃないのかな、と思うのです。



なんでもかんでもカミサマ。

明るい生き方だと思います笑。



では、今週も良き日々をお送りいただけますよう⭐︎

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