こんにちは。竹中です。
一気に秋めいて、
秋刀魚を焼く匂いはそこらじゅうから…はしてきませんが、たまにしますね笑
ちなみに私は食べてません。ご縁がないようです。
特に「食べたい!」というほどでもないし。
食べ物もそうなのですが、
住むところ、知り合う人、巡り合う仕事、見つけた物、訪れる土地…
全ては「ご縁」だなぁ、と感じます。
中には、なんでも自分から行動して、あらゆる願望を達成し続けてきた人もいるかもしれません。
そういうのもいいと思います。
私は限界点が低いのかすぐ息切れするので、
昔から、ムキにならずとも自然に体が動く、気持ちが動くようなことを熱心にやるようにしています。
そういうのが私が本当にほしかったもの、やりたかったことかもしれない、と思ったりもしています。
人との出会いも、自分から探すことはほとんどなく、普段周りにいる人や偶然出会った人を大事にし、なんだか知らないけど離れてしまった人はそのままです。
仕事も出会ったまま続けています。
ヨガの先生っていいなーとは思っていましたが、自分でなろうとして行動したことはなく、オーナーに誘われるままスタジオを任せてもらって10年目に入りました。
ヨガの練習も通える距離に私が知りたいことを教えてくださる先生がいらっしゃって、私が通える日時にレッスンがあったので、こちらももう10年近くお世話になっています。
友達はいるのかいないのか、自分でもよくわかりませんが、困った時に相談にのってくれたり、助けてくれる人が何人もいてくれるので、それが友達でもそうでなくてもどっちでもいいと思っています。そういう人たちがいるだけでありがたいです。
先日、海外旅行が大好きという生徒さんが、「これだけ行っててもどうしてもご縁がない場所っていうのがあるのよねー」というようなことをおっしゃっていましたが、
なんか、そういうのもわかりますよね。
どんなに人気の場所でも流行っていても、接点がない、ってことありますよね。
そんな「ご縁」って、一体なんだろう…って思うのです。
私はこう考えています。
「ご縁」のメカニズムは知る由もありませんが、
自分の欲望や執着…つまり、「こうしたい」「これはヤダ」「これは好き」「これは嫌い」を取り除いてもなお残るもの。
自分で選択したわけでもなく、なぜかいる人、ある物、続けている仕事…
こういうのが「ご縁」かな、と。
より幸せになりたくて、より豊かな人生を生きたくて、一生あれこれ探し回る私たちですが、
何もしなくても、かなりの人や物が与えられています。
それに気付くだけで、ホント幸せ。
それでも時々、「あ、アレやってみよ!」とか「もうこのままじゃダメだ!」などと、突発的に思うことがありますよね。
それもまたある種の「ご縁」かもしれない、と思います。
「もう行動しなさいよ」っていう、自然からのメッセージを受け取ったかのような。
自分の意志でやっていることと、
与えられているもの…
"自分を取り巻く世界"には複数のレイヤーがあります。
そもそも自分には何が与えられているのだろうと、それを知ってから「できること」を増やしていく。
そんなやり方もアリかもしれない。
私に「与えられたもの」だけをシンプルに見てみたい。
昔そんな気持ちになって、気付いたら今になってました。
大満足です。
なんとなく、とりとめのない感じになりましたが、お月さまの季節、秋の夜長、いろいろと思いを巡らせるのもいいなぁ…といったところで、今日は失礼します。
ステキな秋をお過ごしくださいませ〜♡
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