こんにちは。竹中です。
妹がおすそ分けしてくれたバブーピー。かわいいんだ。
梅雨空、じめじめ、ゆううつですか?
私は、梅雨時期の明るく曇った夕方の空が好きです。
湿った涼しい風が吹いてきて、ちょっと懐かしい気持ちになります。
さて、
仕事に行きたくないとか、会社が憂鬱だとか、そんな話をよく聞きます。
そんなとき、「仕事って、なんだろう…。」と私はつい考えてしまいます。
私自身は、仕事についてのあれこれは長年かけて整理してきたので、いまはもう「生活のためにお金が必要だから仕方なく働く」という姿勢では仕事をしていませんが、
お金のためだけに働いていた頃は、会社や仕事が憂鬱でサボってばかりいた過去もありますので、その気持ちはよーくわかります。
組織の中にいると、「何で私が」「私ばっかり」と思うことはたくさんあります。
でも、
不満がある場所に身を置いている場合、周りの方から変わってくれる可能性は極めて低いですよね。
なぜって、自分のために周りが変わってくれるような場所だったら、そもそも不満なんか生まれないでしょうから。。。
さあ、どうしようか…。
あなたは、自分から変わろうとしていますか?
それをしないで周りにばかり期待してるなら、
おそらく、周りの人たちもあなたと同じように、「アイツが変わればいいのに」と思っているでしょう。
私は悪くないのになんで私が変わらないといけないの?と思うなら、
あなたの周りにいる人も「自分は悪くない」と考えているんじゃないでしょうか。
逆に「私から変わってくよー!」という姿勢で生きている人の周りには、同じような人が集まるでしょう。
『類は友を呼ぶ』のです。
自分が先に変わるのが悔しい、とか言ってる場合じゃありません。
変わらなければ、あなたはいつまでも嫌いなあの人と同レベルです。
むしろそっちの方が悔しくないですか?
嫌いな人がいつまでも近くにいるのは、まだその人から学べることがあるから、と私は考えるようにしています。
まだ波動が同じなんだな、私とあの人には共通の何かがまだあるんだな、と熱心に探って見つけては手放すようにしています。
そうすると不思議ですが、
いつのまにか向こうから離れていったり、その人のことが嫌いじゃなくなったりするのです。(好きにもならないけど笑)
人は、どっちが上とか下とかはないはずですが、
その人のもつ「雰囲気」、つまり"波動"は目には見えずとも居心地の良さなどで感じることができます。
「なんかちがう」という場所や人のところへは自然と寄り付かなくなるものです。
あなたが"大嫌い"なその人も、似たような人同士で集まりこれから先も生きています。
それは、
上下ではなく「タイプ」がちがうだけなのです。
見下す対象ではなくただタイプがちがう、ってだけ。
上下、勝ち負け、好き嫌い、こういった相対的な概念はお互い依存し合っているので(両方ないと成り立たないってこと)、ここにこだわっているうちは相手は存在し続けるんじゃないかと私は考えています。
それを超えたら、変化し成長したということになるのかな、と。
本来、仕事や職場というのは、自分を表現できるステージです。
社会の中での居場所を確保してくれる貴重な場所なんですね。
その場所にどうしても意味を感じられないとか違和感があるのなら、身の振り方を考えなければならないし、
人間的な成長ができそうなら、問題が起こったときは「チャンスをもらった」と喜ぶべきです。
居心地の良いふかふかのベッドは誰かが用意してくれるものではなく、
かといって勝ち取る必要もなく、
「もうここにあった」と気付くだけです。
拒否していたのは自分だった、と分かるだけでいいのです。
ただ、焦らないでください。
納得できるまでもがく時間は、何よりも貴重です。
特に若い人たちは。
涼しい顔をして素早く乗り越えても、それでは10年後同じ悩みをもつ後輩に寄り添ってあげられないから。
最近思います。
人の悩みを解決してあげることよりも、悩む人が安心して問題と向き合い続けることができるように一緒にいてあげられたら、と。
実は、時間をかけたほうが上手く解決できることがたくさんあるのです。
心が弱っているとき無理に前向きになろうとするのは結構キツいので、
そんなときはよく休み、運動し、お水をたくさん飲むのがおすすめです。
心が思うように浄化できないなら、体を浄化してみるといいですよ。
きっとそれも変化のきっかけになると思います。
それでは、梅雨空の夕方に静かなカフェからお送りいたしました。
アイヌの歴史、なんて読んでます。(だいぶ飛ばしながら。)
みなさんも、よき夕べをお過ごしくださいませ。
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