こんにちは。竹中です。
身の回り品、刷新中です。
ずっと欲しかったけど買ってなかったもの。
ハンモックに、(軽くて移動がラク!)
扇風機。(カモメの鳴き声がするし軽い!)
そして、ちょっと変わったTシャツ。
さて、
私は子供の頃からよく「あゆみちゃんは器用だねー。」と言われてきました。
褒められているのだと思って大きくなりましたが、
30歳近くなった頃、今度は複数の人に「器用貧乏だ」と言われました。
響きの良くないその言葉に嫌悪感を覚えて、私は好きなこと、興味があること、得意なことを仕事に関連するものだけに絞りました。
そうすれば私も何か達成できるかもしれない、と思ったから。
でも、最近私は気が付きました。
達成したいこととか、特にない。
ないのよ、コレが。
それに、そのやり方って私に合ってない。(今さら。)
たとえば料理をするとき、
小麦粉と水があったら何を作りますか?
小麦粉と水と卵があったら?
卵1コだけあったら?
卵が100コあったら?
薄力粉ではなく、強力粉だったら?
小麦粉はなくて、米だったら?
コレって、人にも共通するなあ…と思うのです。
一つの材料を大量に持っている人、
数種類を大量、または少量持っている人、
調味料しか持ってなくても、材料を自在に借りられる人、
…多分、私はいろんな材料を少しずつ持っているタイプ。
「器用貧乏」な私は、いろんな材料を持っているけど、少しずつなのでたくさんは作れない。大きなものも作れない。
それなのに、
たくさん作らなきゃ、大きく作らなきゃ、とこれまで不毛にも頑張っていたんだな、って。
みんなが同じやり方で上手くいくわけじゃないし、同じにする必要もないんですよね。
そんなとき、
「器用貧乏」というのは、物事のほんの一側面からの見方で、いいことがいっぱいあるんだよ、と母親世代の人たちから教わりました。
ちょっとなにかやりたい、ってときに一人でサクッとできるとか、
いろんなものに興味を持ったりチャレンジできることとか、
アイデアが豊富で引き出しが多いこととか…、
生活の中に潤いを与える要素がたくさんあるのだそう。
そういうのを「ゆとり」っていうのよ、と言ってくれた方もいました。
「ゆとり」は、私のここのところのテーマでもあったので、そんなふうに言ってもらえたのはとても嬉しいことでした。
ただ、
それは私が「私らしくいたい」と思ってはじめて、周りも肯定的に感じるものだと思うのです。
憧れの誰かみたいになろうとか、こういう風に人から見られたいとか、ライバルを超えたいとか、そういう動機ではなかなか上手くいきません。少なくとも私は上手くいく感じはしなかった。
本当に居心地いい自分を「これじゃダメ」と自分で否定して他のなにかになりたがっていたら、いつまでも「本当の自分ではダメ」なままなので、もちろん周りからも認めてはもらえないでしょう。
小麦粉と卵とミルクがあったら、クッキーを作りたい。
でも、小麦粉と水しかなかったら、うどんを作った方がいいかも。
すでに持っているものの最高を引き出してこそ素材が輝くなんて、そんな当たり前のことを全然わかってない。
そんな10年を過ごしてきた私ですが、とうとう気が付きました。
問題は何かができないことや手に入らないことではなくて、自分らしい自分に気が付かなかったり、無意識に拒否していることなのかもしれません。
そんな事を考えて、ハンモックに揺られているところです。
皆さまもよき夏至の日々を⭐︎
たまに席替え。
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