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執筆者の写真darsanayoga

何が正解かなんて、わからない。



こんにちは。竹中です。


ずっと前、ヴェーダンタのクラスでこんなお話がありました。


「新しいことを教わるとき、私たちは自分の知ってる範囲で物事を理解しようとする傾向がある」。



この「範囲」の枠を外すのってすごく難しいですよね。どうやるの?って感じ。



…それでオープンハートっていうのはね…、と先生のお話は続きましたが、


私が正しく解釈できてるかわからないので引用は避けておきます。




今日はこのお話から私が考えたことを書きます。



「知りたい」「理解したい」という気持ちをもつのは大切なことなのですが、




私たちはどうも悪気なく、


"自分に都合のいいように"


知りたいことだけを知ろうとしている…


ように思えるのです。




これは、

単なる好き嫌い、損得感情、


それから、

自分を正当化して自己証明するためだったりするのかなぁ…。と思います。


あと、

深く考えるのがめんどくさい、ってのもあるのかな。


…それはいいのですが、




新しいことを教わるときにどうやって自分のちっこい枠を外したらいいか、


私が心がけていることは、こんなこと。




① 私の解釈は間違っているかも、といつも頭の片隅で思っておくこと。



② 私の知らないどんな考え方があるんだろう、と関心を持つこと。





わかりにくいですね。。。


もっとわかりやすく…。




① 何事も「これが正解」と決めつけないこと。


どんなに100%正しいと確信できることも、時と場合によってなぜか整合しないことがあります。




② 幸運は想定外の方向からやってくる。



「幸運」を例に挙げてみますね。


「私はこの方法で幸せになる」などとあらかじめ決めてしまうのは、選択肢を減らすだけのとてももったいない行為です。



可能性は全方位に広げておくのが、幸せになる一番の近道だと思いませんか?



世の中には自分が知らない方法がいくらでもあるのに、今の自分の乏しい知識の枠に限定してしまうのは、


むしろ「私はこの方法でしか幸せにはならない」と他の可能性を排除することになります。



そうすると、予想外の方向からチャンスが来ても気が付かなかったり、対応できずにチャンスを逃してしまったりします。



…というように、新しいことを教わるときも、


「それってこういうことでしょ」と安易に結論づけることや、


無理矢理わかったことにしようとする解釈や、


これまでの自分のやり方にこだわって学ぼうとする姿勢は、



もしかすると、正しい理解を妨げかねない。



私はそう思っています。




なんだかよくわからないよ、という人は、


とりあえず、違うと思っても「へー、そうなんだ」と素直に受け止めておく。


それだけでもいいと思います。



そしたら、


いつかどこかでシンクロするでしょう。



それがその時一番の「正しさ」で、

きっと誰とも何とも対立していないはずです。




ヨガはその点、本当に理解できるとちゃんと体に現れるのでわかりやすいです♪



さあ、栗の渋皮煮を作ってみました。

なかなかだと思います。くふふ♪


つやつや。


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