こんにちは。竹中です。
最近お気に入りのおやつ。

コチラ、動物性原材料入ってません。
1年に1回、なぜか寒くなってくると食べたくなり、カルディに走ります。
さて、
私は、意図的にヨガとヨーガという言葉を使い分けています。
なぜって、
そもそもサンスクリット語にはエとオ(短母音)はなく、エーとオー(長母音)のみだと教わっているのと、
योग (ヨーガ)という言葉は、使うシーンで意味が変わるとも教わったからです。
ということはつまり、
「ヨガ」は日本語、と言えるのではないでしょうか。
そういうわけで、
日本で広く知られるあの「ヨガ」を指す時は、
ヨガ、と言っております。
「ヨーガなライフスタイル」とかなんとかいうタイトルのコラムを少し前に書きましたが、
内容を具体的に書いていなかったので、せっかく読んでくれた人の頭に「?」をつけてしまったかもしれないという懸念があります。
「ヨーガなライフスタイル」とは、
アヒムサーを尊重し、ダルマに沿った生き方をする、という意味で書きました。
別に毎日早起きとかしてヨガをする、ということではありません。(やるのは自由だけど。)
今日も起きたら8:30のわたしに「早起きしろ」と言われてもみじんの説得力もありませんね。
アヒムサーやダルマについては、然るべきヴェーダンタの先生から教わるべきことなので私は解説しませんが、
私の解釈と実践内容をご紹介するなら、
①動物を殺したり苦しめて食べないこと。
②自分に与えられた役割をしっかり果たすこと。
簡単にいうとこの2つです。
がんばる価値が大いにあると思います。
人生が好転しますから。
もう一つ、ヨーガなライフスタイルのヒントとして、
私のサンスクリット語のノートに、こんな先生の言葉がメモしてありました。
「エクスターナルなオブジェクトにアタッチメントがない人は幸せになれる」。
…え、どういうこと?
→外の世界の対象物に愛着(執着)がない人は幸せになるでしょう、です。
…私が言うと薄っぺらいなー。
とはいえ、その通りだと思います。
これは大好き、これは大嫌い。
勝手にそんなことを決めている自分こそがまさに、自分の幸せを邪魔している張本人だからです。
だって、ただ生きてればいいところを、
大好きはもっと欲しい!
でも大嫌いは絶対に受け付けない!
とか執着心強めにやってたら、
心は休まらないし、時間はどんどん過ぎてしまうし…。
ゆっくりと幸せを噛みしめるヒマがなくなってしまうと思いませんか?
全てにおいて好き嫌いをなくそうとする必要はないと思いますが、
やっぱり、
好き嫌いは少ない方がずっとラクだよね、とは思います。
…知ってますか?
嫌いな人がいたら親切にしなさいとか、
その人を好きになりなさいとかいう説。
私は全くおすすめしません。
嫌いな人がいたら、感情のスイッチをオフにするのが私のおすすめです。
なぜって、そうすることが相手をできるだけ嫌いにならずに済む方法だからです。
もっというと、
"あたしって大人の対応ができる"とか、
"あたしは大嫌いなアイツに振り回されてない"とか、
自ら思えることが、
実は自己承認にはとてもいいのです。
「あたし、嫌いな人でも普通に対応できるんだよね」って真顔でどうぞ。
笑顔じゃなきゃいけないとか、
親切にしなきゃいけないとか、
そこまでサービスしなくてもいいんです。
真顔で十分。
私たちは人から好かれる必要もないし、嫌われる必要もない。
好きなものも嫌いなものも別に同じ重さでいいじゃないか、と私は考えています。
(ただ、自分の人生や仕事を邪魔してくる人からは離れた方がいいですね。)
そんな細かいいろいろはありますが、
「ヨーガなライフスタイル」は、
いざやってみると大変シンプルで驚くほど快適だったりします。
外の世界に求めても幸せは得られないというのは本当のこと。
だからヨーガなライフスタイルで内面を整える。
それをうまいことやるのがあなたの修行。
オススメですよー⭐︎
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