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執筆者の写真darsanayoga

カン違いの「自己肯定感」






こんにちは。竹中です。




夏の終わりに生徒さんからミカンの雛をもらいました。


今はこんなに元気ですが、ちゃんと育てられるか心配…と思っていたら、葉っぱからいい匂いが漂ってきました。



「プチグレン」というビターオレンジの葉から採れる精油に似た香りに、俄然やる気が出てきた私。





さて、近年「自己肯定感を高めましょう」というプロパガンダ(?)が盛んですが、



私らが若い頃などそんな言葉はなかったので、全く意識することなくここまで大きくなりました。



この言葉は誰がどんなふうに定義したのか知らないし、私は興味もありませんが、



仮に私の解釈で合っているなら、20代30代で自己肯定感なんか得られるわけないじゃん、って思ってしまうんですよね…。




「私はこれでいい」「私は私」と心から納得できるようになるまでに、どれだけ失敗し、悔しい思いをし、恥ずかしい思いをし、トラウマを抱えたか。



みんなができるのに自分だけできない…、そういう経験をいくつ重ねてきたか。




失敗もせず、恥もかかず、怒られることもなく、子どもの頃からずっと褒められ続け、大事に育てられ、



ムリしなくてもいいんだよ、

できないことはしなくていいよ、

食べられないものは残していいよ、



と教育されてきた子たちが、いきなり「自己肯定感」などといわれたら、それは大きなカン違いのモトにならないのでしょうか…。





私たち世代が育ってきた環境では、みんなと同じことができないと、「協調性がない、自己中心的」とはっきり通信簿に書かれたし、


給食は全部食べるまで終われなかったし、


誰かがルールを破ったら、連帯責任だと言ってみんなで正座されられたり叩かれたりしてきたものです。


「女のくせに」とか「それじゃ男に可愛がられないよ」なんてことも平気で言われました。




あの時代はみんなそれが普通だと思っていたので、


いつも誰かと比べて、落ち込んだり、負けるもんかと戦ったり、ずっとサバイバルでした。


(そのかわり今はできない楽しいことやみんなで団結して頑張れたこともたくさんありましたけどね)





「自己肯定感」というものは、そうやって長く長く戦って、疲れ果てて、もう誰にも助けを求められなくなって、「これ以上はムリ…」とギブアップしたとき、その先に見えてくるものではないかと思うのです。



辛い思いをした分、

人の傷みや心の弱さを理解できること、

考えの違う人とも共存できること、

誰かを批判することで自分を正当化する必要がないこと…



自己肯定感の裏側には、こういったことを同時に展開できる心の深さも必要になります。


周りの人たちと賢く円満に付き合うための知恵も十分につけておく必要があります。




どうせ私なんて、と思うのはまだ人と比べているから。

成功の方法が「それしかない」と決めつけている視野の狭さです。





そもそも、普段使っているその言葉の意味を深く考えたことはあるのでしょうか。


自己ってなに?

肯定ってなに?

成功ってなに?



何気なく使っているその言葉の解釈にズレはないでしょうか。



ろくにできもしないのに「自分はデキる!」などと思われても、周りはかえって迷惑だと思いませんか?



自己肯定感は、周りに対する優越感とは違います。



普段自分が使っている言葉は一つ一つ、紐解く必要があります。


なぜって、それを一番聞いているのは自分だから。

間違った解釈で自分で自分を洗脳してる可能性があるからです。



そういう"めんどくさいこと"にも丁寧に取り組んでいったその先には、


多分、「自己肯定感なんてどっちでもいい」という答えが待っているはずです。




私も時々、世の中に"なんとなく"蔓延する価値観に囚われてしまうことがありますが、



少し考えてみると「その価値観は私の中ではどうでもいいことだったかな」と気がつきます。



その都度認識するといいですね。

「自分で自分を縛ってるだけじゃん」って。




だだ、


自分で自分を縛っていた方が都合がいいこともあります。


そのほうが、自分が変わらなくて済むから。


ラク、なんですね。




怠惰な自分でもいいなら、それもアリでしょう。




私は今、この一年で自分をよくよく見直して、ちょっとずつ変わっていくために種まきをしているところです。


必要なものがあるなら準備しなくちゃいけません。


物質的にも精神的にも。



いつまでも同じ状況が続くとは限りません。

人と人とのご縁もそうです。



真剣に自分と向き合っていたら、他人がどうとか言ってるヒマはありません。



いつもそこに居てくれると思っていた人だって、突然いなくなるかもしれません。



今を大事にしなきゃ、っていうのはそういうことではないでしょうか。




今日は私の立場で考えたことをそのまま書いてみました。




今はそんなふうに考えられないよ、という人もいると思います。


でも、そういう時こそ自分の周りにはたくさんのヒントがあるものです。


それに気付けるといいですね。

自分で決めればきっと抜け出せます。





みなさんの毎日もかけがえのない日々になるよう、祈ってます⭐︎


なんかフシギな空。雲が分かれてるね。






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